中古スマホ買ったら初期化されてなかった話

先日スマホ端末を中古で1台買ったんですがそこでコワいなーと思うことがありました。

端末届いたんだけどがなんか変

自分はiPhoneユーザーなのですが、仕事でAndroidの案件をもってるんで勉強のために中古の端末を買う事にしたんです。で、Aamazonで「新品」として売られていた端末を見つけて購入し、ウキウキ気分で到着を待ってました。
数日後、届いたものを開梱したらこの端末がちょっと変であることに気づきました。画面に保護フィルムが貼ってあったんです。これが貼ってあるってことは既に使用済みであることが考えられます。「新品」として売られてたのに使用済みであることが分かってがっかりしたんですが、端末表面に傷は無いしきれいだったので「新品同様ってことだったんかー、まぁこういう市場ってそういうもんか」と変に納得してました。

初期化されてない

ここまでは良かったんですが、問題は次。適当にアプリをダウンロードしようとGooglePlayを開いたんです。そこでおかしな状況が。基本的に、初期化されている端末でGooglePlayを開くとまずGアカウントのログイン画面が表示されるはずです。ですが普通にコンテンツを見る事ができました。おかしいですよね。ログインもしていないのに見れちゃうなんて。
なぜログイン画面が表示されないかというと、
この端末は既に誰かのGアカウントでログイン済みだったからです。

いろいろわかっちゃいました

はじめ業者のアカウントかなとも思ったんですが、Gmailのアプリの受信箱にあったfacebookのお知らせメールから、このGアカウントが一般人のものであることがすぐに分かりました。さすがに他人のメールを物色するのは気が引けるのでメールタイトルだけ見たんですが、メールの未読・既読状況が分かるしfacebookからのお知らせメールのタイトルで本名まで把握できちゃいました。興味本位でfacebookでその名前を検索したら、全公開にしているのか、その人の家族構成や顔写真、近況まで分かりました。
加えてアカウント名でgoogle検索してみたところ、その人のブログ記事が出てきました。
初期化忘れで人の情報を沢山得る事ができちゃいます。

その端末は既に初期化しましたが、その気になれば有料アプリを沢山ダウンロードできるし、うまくいけばGアカウントのパスワードを変更して乗っ取ることもできちゃいますよね。色んなwebサービスにGメールが紐づけられてたらもっと悪い事ができちゃうかも。

ここで、ログイン済みの端末から具体的にどんな悪い事ができるのか例をあげてみるのも面白いかと思ったんですが、調べるのが面倒なのでやめときます。

気をつけたい事

使ってたスマホを売りに出すときに初期化してないなんてアホな話ですが、情報管理として自分も普段から以下の点には気をつけるべきだと思いました。

  • 個人情報の入ったデバイスを手放すときは自分でデータを削除すること
  • 複数人で利用するような共有デジタルデバイスにログインした後はログアウトすることを決して忘れないこと 
  • どういったサービスにどのメールアドレスを紐づけてるのかよく把握しておくこと
  • SNSに全公開で生活の記録を書きすぎないこと

以上です。

建築物の設計とwebページの設計

2011年3月11日東京でも大きな地震に見舞われました。もう4ヶ月経ってからの記事になりますが、この地震で体験したことから感じた「建築物のサインデザインや構造設計」と「webページのUI設計やシステム設計」の共通点について書いておこうと思います。
 

あの日、いつものように都内の某ビルで仕事をしていたところ、大きな揺れが発生しビルに勤務する従業員は全員避難することになりました。皆、地震にはびっくりしたものの揺れは収まっていたので特に急ぐこともなく非常階段のほうへ向かいだしました。しかし、階段には上階から下階までずらりと人が並んで列が進むのを待っていました。エレベーターが止ってしまったためビル内の数千人が一斉に非常階段を使おうとして大渋滞が起きていたのです。結局、私が地上に避難できたのは地震発生1時間後のことでした。多くの人が避難するには不十分な避難方法ですね。
 
このときビルが倒壊する心配はありませんでしたが、もし大きな火事など発生した場合には相当運が良くない限り、「死ぬんだな」と直感しました。今回皆焦ってなかったので怪我人は出てないと思いますが、本当にヤバイ状況に陥ったらみんなパニックとなり我先に階段を降りようとしてドミの倒しになることでしょう。
 

ここで、避難体験を通じて感じた建物の問題点を洗い出してみます。

1. 案内放送によるコントロール不足
2. サインの不足
3. 消火器具や酸素マスクなどのグッズが皆無
 
まず1。地震発生後、一気に人を避難させようとした案内放送。しかし階段の幅を考えれば渋滞が起きるのは当然です。こういうときは危険度の高い階の人から優先して避難させるべきではないでしょうか。
次に2。普段ミーティングを行う際には○階の△△△の会議室というのを覚えて行くのですが建物内のサイン自体が不足しすぎです。「高級」「洗練」を目指した建築物なためか、どの階も内装がそっくりで、対となる方角の構造も全く一緒で、更に現在地を示すサインが少ないため、自分がいまどの位置にいるのか迷ってしまう事が多々あります。ただでさえ移動に時間がかかるのに迷っていたら時間がもったいのです。そんな思いをしてるのは自分だけじゃないようで、結局各階に会議室の方向がプリントされた紙が壁に貼られました。紙ペラがぺたっと壁に貼られてるだけなので見た目残念なかんじですが、これがあることで随分助かっています。また、非常階段にも階を示す表示が少なく、位置によっては今自分が何階にいるのか全く分かりません。有事に「何階で待機してください」なんて言われても無駄な移動が発生してしまいそうです。「オシャレさ」を目指す前にこういったサインデザインをもっと考えて欲しいものです。サインの不足は混乱を招きます。
最後に3です。普段から私は非常階段はよく使うのですが、無駄な物は置いておらずすっきりとしたシンプルな非常階段なので、何も無さ具合に不安を感じます。煙が立ちこめれば四方壁に囲まれたこの空間ではすぐ窒息してしまいそうだし、階段途中で火が上がってればもう先には進めません。せめて消化器とか、マスクとか何かしら設置していてほしいものです。
 
ところで、「建築物のサインデザインや構造設計」と「webページのUI設計やシステム設計」って似てません?非常階段の狭さと降りる人数の関係は、回線の大きさとアクセス数の関係と置き換えて考えられます。状況を知らせるビルの案内放送は、アクセスが繋がりにくくなっている旨を知らせるお知らせと同じ。非常時に避難経路を瞬時に理解させる建物のサインデザインはユーザーを迷わせずスムーズに誘導させるためのUIと同じです。このように考えると、建物の構造も興味深くみることができますよね。
 
今回、ビル避難時の人の流れを例に出しましたが、「人身事故をもろに受けたJR埼京線の電車の混雑具合」についても同じ事が言えそうです。遅延が起こる度激混みになるため、人をうまく他路線へ分散させるロードバランサ的なものが必要だ!とぎゅうぎゅう詰めの車内でよく思うので。

読書「デザイン思考の仕事術」

先日「デザイン思考の仕事術」棚橋弘季著 を読みました。

ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術

ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術

とあるUIデザイナーがおすすめしていた本で、とりあえず読んでおこうという感覚でAmazonでポチったのですが、読んでいてグっとくる点がいくつもあり、ドッグイヤーしすぎて本の小口が若干分厚くなりました。。
 
簡単にこの本の解説をします。この本で言う「デザイン思考」とは、頭の中で考えてることや集めた情報を外に出し、整理し、組合わせたりして、新たな発見やアイデアを計画的に生み出そうというものです。「デザイン」をグラフィックや装飾というような狭い範囲の作業としてではなく、問題発見や企画立案やというような物事を組み立てる作業として取り上げ、その方法を紹介しています。「KJ法」だったり「ペルソナのキャスティング」など既によく使われている手法が出てきますが、もっと根本的な情報の整理について丁寧に記されてあり、「デザイン」の基本に戻れる本だと思いました。
 
自分はこの本の内容をちゃんと消化しきれてはいませんが、自分が仕事で今後設計作業をするにあたり、特に意識しておくべき事柄だと思った点だけメモしてみました。
 
■情報とは豚のパックである
情報とはスーパーのパックされた豚のことである、という表現が分かりやすくて印象的でした。
 
「パックされた豚」とはどういうことか。著者は養老孟司さんの「情報」と「情報化」について区別していることに注目しています。
「情報化」は自然物を人口の情報にパッケージ化する作業のことであり、「情報」はパッケージされた結果の人工物のことをいいます。
絵を描いたり写真撮影したり、マニュアル化やシステム化もパッケージです。自然は常に変化し続けるけれど人工物は一旦固定されると成長しません。自然物の動きを止めて固定化するのが情報化でありデザインであると、本書では言っています。我々は情報化する過程で何かを捨象していて、捨象し純化された情報にしか触れない人は、既に捨象された中に本当に自分の必要なことがあったとしても気づきません。だから情報化されたものだけをみるのは危険である、と。
 
スーパーに売ってる豚っていうのは、もうカットされてるものであるから、元々これがどんな大きさのどんな鼻の形をした豚だったのかも、どんな養豚場でどんな餌を食べて育ってきたのかも私たちは知りませんよね。「豚」のパックを買って、「豚」を分かった気でいますが分かった気になっているだけ。知っているのはこれまで誰かがテレビや雑誌で伝えた「豚」であって、「豚」に対するほとんどの 情報は自分の目で見た結果のものではありません。

何か問題を見つけて解決しようとするならば、生きてる豚を見なければいけない。簡単に調理できるようにパックされた状態ではない、生きてる豚(生の情報)を観察し、そこから得られる気づきを活かすことが必要です。
発想を得たいというなら、分かっていることの外に出ること。
 
普段ツイッターとかニュースを読んでいてもそこには誰かのフィルターがかかっており、何かがそぎ落とされています。そんな「豚のパック」を読んでちょっと知識が増えたなーだなんて思っていた私の情報収集のしかたはダメダメですね。これだけの情報を素材に仕事しようとしても皆と同じような発想しか得られない。なので、ユーザーテストと言わないまでも普段からユーザーのコンテキストやユーザーと商品・サービスとの関係について自分なりに観察・分析して掘り下げていかなきゃダメだな〜と思った次第です。
 
■デジャブの反対「ヴュジャデ」
問題発見をするために私たちは情報収集を行うけれども、その作業の中で、驚きを感じられるような新しい視点を自分で発見することが重要だと本書では述べています。
そして「ヴュジャデ」というIDEOのトム・ケリーが使っている造語を引き合いに出していました。
「ヴュジャデ」はデジャブの反対の意味で、「いつも経験しているものに驚きを感じる事」です。
身の周りのものから驚きを感じられるものを発見できるか、もしくは集めた情報を整理する中で、情報の違う側面に気づけるか。
このヴュジャデが起きないと問題発見や問題解決につなぐことはできない。
ということで、じゃあヴュジャデに出会うためにはどうれすればいいか?
 
・軸を替える
見方、時代、場所、状況、考え方を変えて想像してみる
・いくつかのものを並べてみる
情報を並べてグループ化したりランキングにしてみたりして空間に並べてみる事で集めた情報の意味が見えてくる。
・異なる物同士をつなげてみる
似てない物同士を繋げてみて関係性を見いだす。推論を立ててみる。
・言い換えてみる
抽象的、具体的な言葉にしてみる。
・文脈の中で見る
目的、行動、期待を把握する。人の生活の中でどう扱われているのか文脈をつくる。
・見た物を他人に話してみる
集めた情報を他人に見せ、他人の視点を知る。
 
■情報が動く
最後にぐっときた表現をメモ。
「情報は視覚的に並べ方を変えたり別の物とつなげてみたりすることで、情報そのものが動いてくる。」「眠っていた情報がもう一度動き出して情報化の機会を与えてくれる」
別の視点や組み合わせ次第で、情報が既存の分類から離れ、新しいグループの中に移動でき、それを「情報が動く」と表現しているわけですが、これ、創作活動とかデザインをしているときのハッとひらめく感覚に似ているような気がして面白いなと思いました。
 
いやまぁ、このひらめきを計画的に生み出すのが「デザイン思考」であって前の項目で紹介したような方法でできるということなんですが。
 
他にも色々メモしたいことがありますが、まとめきれないのでこのへんで。。
この本はまた何度も読む事になりそうな気がします。
仕事で、手段が目的になってしまっているときなんかに読むといいですね、きっと。基本に戻れるので。

そんなにUIって重要?

ふと思った事をメモ。

UIよくないよね?

webサービス制作において、よく「UI大事!」って謳われるけど、実際のところそうでもないケースってあるように思う。UIは良くないのになんで皆そんな使ってるの?ってサービス。

Facebookなんかがその例。

自分は面倒くさがりなので、探しものがなかなか見つからなければすぐ探すことを諦める。以前に、Facebookでアプリの追加をするのにどこから遷移したらいいのか分からなくて10分くらい彷徨った記憶がある。アップした画像に後から説明文をつけようとしたときも間違えてコメントをつけてしまったりだとか、UIが分かりづらすぎて「ムキー!」ってなった覚えが何度もある。Facebookを利用している人はこんなことはないのであろうか。。他にも「なんでそこからチャットに..」と不思議に思ったり。

なのにFacebookの利用者は世界で5億人を超えている(昨年7月の段階で)。こんなに使いづらいのに日本でもじわじわとキている様子。すごく不思議。

あともう1個例を。最近、iPhoneで家計簿アプリを探しててどれがいいかと物色してたんだけど、意外なアプリが評価を多く得ていた。項目別に収入や支出をグラフ化できる家計簿アプリ。使用感としてはすごく使いづらい。金額を入力する場合、フォームにフォーカスされるんだけど、何かしら入力しないと完了にならない。つまりキャンセルという選択肢がないので入力をやめようと思っても仮入力をしておかなければいけない。そしてしかたなくそれを後で削除。これにはイライラしてしまった。それに加えて、エキスパンダを開いて入力するフォームがあるんだけど、入力後はエキスパンダを閉じないと「戻る」ボタンがアクティブにならないのでそれに気づかないうちは密室に閉じ込められた気分になる。全体的なビジュアルもあまりいい感じとは言えない。でも自分が欲しい機能が揃っていて他に同じような無料アプリが無いのでこれを使うことにした。

UIが悪くても

自分の経験談からしか見てないので分析も何もあったものではないが結局こういうことなんではないだろうか↓
・必要とする(または魅力的な)機能がある
・他に似たようなものがない
・無料
・誰かのお墨付き

上記4点が揃っていればUIが悪くてもサービスを使ってくれるように思う。
そのサービスの機能を必要としてるユーザーにとってはUIは二の次でいい。寧ろユーザーがサービスの使いづらさに順応しようとする。

自分にとってFacebookは、そんなに必要としていないサービスである。周りが騒いでいるのでチラチラ見ているというかんじ。ちょっと前の日本でのFacebookの盛り上がりはamachangさんが紹介したことがきっかけだと言われている。Facebookを利用している人たちはこのサービスにしかない機能を魅力と感じ、無料で、且つ有名な人がイイと言っているので使っているのだろう。

でもやっぱり重要

けれども、
競合が存在しているのであれば、UIは重要なポイントになってくる。
ユーザーは、ちょっと使い勝手が悪いだけでやめてしまうし他に替わりがあるならそっちを試そうとする。つまり、競合がいるからUIが重要になってくる。ここまで言うと当たり前なことを言ってるような気もするが、UI設計というのは、ユーザーを逃がさないための対策と言えるのかもしれない。

おわりに

UIが良いにこしたことはないのだけれど、ただ「ユーザーの幸せのために」とか馬鹿の一つ覚えのように「デザインデザイン」言ってるだけでは見えてこないものもあると思ったのでメモしてみた。
今後、仕事や周りのサービスを見ていく中で気づいたことがあればまたメモしようと思う。

おわり。

2011年の目標

2010年のふりかえりをしたので今年の目標を立てたいと思います。大抵、年初めは張り切って無理な目標をぴょんぴょん(うさぎの年に因んでこんな効果音)立ててしまい結局無理に終わったりします。ですが、自分には不足していることがあまりにも多いので目標というよりやるべきことをぴょんぴょんあげてみました。

【UI設計に関して】

  • 様々なwebサービスの使い心地をメモしておく
  • web以外のこと(プロダクトのインタフェースデザインなど)についても目をむけておく
  • インタラクションデザイン系の本や記事を読む

【コーディングに関して】

  • 早くする
    • エディタを1つ決めて極める
    • 基本をばっちりにしとく(ブラウザごとの表示の差、標準 等) 
    • テンプレートをいくつかもっておく
  • 自分でなんか作ってみる

【ビジュアルデザインに関して】

  • photoshop表現の引き出し増やす
  • 文字まわりの処理 いいデザインを見てバランスを覚える
  • テーマの引き出しを増やす
  • テーマを言葉で言えるように 日頃からそれっぽい言葉見つけたらメモしておく
  • 細部の作り込み、細部の処理を丁寧に
  • 世間の様々なもの(映像や広告など)を見て良いとこ・悪いとこ考えてメモしておく

【情報収集に関して】

  • 情報収集の基盤をつくる 習慣にできるような

【考え方に関して】

  • 本を読む(活字が苦手で全く読まないので月最低1冊)
  • 本や記事を読んでの感想をメモする

【その他】

  • 映画(DVD)を見て面白いと思うアイデアや表現をメモしておく
  • 展示会いく
  • 勉強会やセミナーに足を運ぶ
  • 英語(するの?ほんとか?)
  • 部屋をキレイに
  • 心身もキレイに
  • 人にやさしく

全部できたらイイな(;´Д`)

2010年のふりかえり

2010年は良いことづくしで恐ろしい1年でした。

  • 卒制作品が無事完成し展示できる
  • 卒制で素晴らしい評価をいただく
  • 作品を優秀展やオープンキャンパスで出品させてもらう
  • なんとかランチにスピーカーとして参加
  • ハックなんとかで受賞
  • なんとか開発&リリース

その他会社のことなどもろもろ。。

しかし、個人・グループ活動関係なく、これらの良い事のほとんどは周りの人の力があってのことだと言えます。

2010年は向上心の高い人やスゴイ人たちと出会い、自分はその人たちに支えられ、引っ張っていってもらってる感じがしました。おかげでめまぐるしくも充実した濃厚な1年でした。とても。割と地味にマイペースに生きていた自分にとって、この出会いと出来事は大きな変化です。

こういった出会いと活動の中で思ったのは、意識の高い人やポジティブな人、スゴイ人といるだけで自分もちょっと変われる気がする、ということです。勝手な勘違いだけど、そういう勘違いが自分を磨くモチベーションにつながるように思います。

一方で、今年は引っ張ってもらう、教えてもらう、などの「もらって」ばっかりで自分に大した力はないということにも改めて気づきました。単独での活動を振り返ってみると、「自分の意見がない」「何が言いたいのかわからない」「物事を読み取る力が無い」「ベースが薄いから新しいことを読みとるのにも時間がかかる」等々、多くの反省点が・・・。
人の後をくっついていってるだけ。これだと誰かの手助けもできないですよね。

そろそろ後輩が入ってきて教える側になるわけだし、これじゃヤヴァイ。周りからいい影響を受けつつ、そのモチベーションでこれから自分を磨いていこうと思います。

以上、2010年のふりかえりでした。